TOKYO2020

支える2020の仕事

障がい者が健常者と同じように
スポーツを親しめる機会をつくりたい

下稲葉耕己
NPO法人 日本知的障がい者陸上競技連盟 東京2020ディレクター
(one’s Para Athlete Club代表)

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障がい者アスリートの横には、1人ひとりの障がいの特性を理解する優れた指導者がいる。東京2020パラリンピックを目指すアスリートを指導する下稲葉耕己さんは、着任した学校で体育教師だった時代に全盲の教え子がロンドン2012パラリンピックに出場。その経験を、練習する環境づくりや指導者育成に生かそうとしている。

体育教師だった2012年、全盲の教え子をロンドン2012パラリンピックへと導いた。下稲葉はこのとき競技パートナーとして、視覚障がいのある選手に伴走する「ガイドランナー」や、走幅跳の踏切位置を声や手拍子で伝える「コーラー」を務め、選手と同じ立場でパラリンピックというものを経験することになった。教員として、また部活の顧問として、指導者として、さまざまな視点から見たロンドン2012パラリンピックの経験は、下稲葉にとって大きな財産だ。

「すごかったんですよ、ロンドン」。伝統的にイギリスは陸上競技が盛んだ。下稲葉が走幅跳のコールをする時のこと。会場が騒がしいままではコールの声が選手の耳に届かない。下稲葉さんが人差し指を立て『しーっ』のポーズをすると、競技場に集まる8万人が一瞬にして静まり返った。ロンドンの観客は、競技の楽しみ方、そしてアスリートに対する敬意の示し方も知っていた。「出場した僕らも競技場でとても気持ちよく競技をすることができたんです。本当に観客の人たちが素晴らしい大会でした」

同じ思いを東京2020パラリンピックのアスリートたちに味わってもらいたいと、下稲葉は考えている。「実際にパラリンピックに出た人間だからできることがあると思っています」。ロンドン2012後の13年には、特別支援学校に転任し、そのかたわらで、知的・身体障がい者の陸上チームを設立。また18年には、知的障がい者陸上日本代表の強化責任者に就任し、東京2020出場を狙うトップアスリートの指導にあたっている。

下稲葉は元高校球児だ。教員免許をとったのは、いつか監督として甲子園に出場するという夢のため。「今でも諦めてないですけどね(笑)」。だが、体育教師として赴任した学校で、障がい者スポーツと出会う。

08年、「陸上をやりたい」と1人の全盲の女子生徒が相談にやってきた。陸上部で顧問を務めることになった下稲葉。それまでは「部活で上を目指す雰囲気がない」学校だったが、部員が増えるにしたがい競技レベルも向上していく。陸上をやりたいと相談に来た女子生徒は、のちに障がい者の国際的な競技大会で100mと走幅跳で優勝した。そして他の教え子の一人はロンドン2012パラリンピックに出場。得意の走幅跳で6位入賞を果たすことになる。

ロンドン後には、転任した特別支援学校で、知的障がいのある生徒に陸上を指導した。短期間でトップアスリートを育てる指導法を尋ねると、下稲葉は次のように説明してくれた。

運動が「できない」から「できる」に変わる、そのあいだに『わかる』という段階がある。その『わかる』を阻害しているのが障がいだ。視覚障がい者は見えないからわかりづらい。知的障がい者は脳の機能障がいがあるからわかりづらい。だから陸上の指導とは別に『わからせる』ための指導が必要になってくる。

知的障がいを持つ走幅跳の選手に「反り跳び」を教えたときのこと。空中で身体を一度大きく後ろに反らす動きが必要だが、映像を見るだけでは理解が難しいようだった。「その選手は、あるアイドルグループが好きだったんです。そのアイドルたちのダンスの動きと反り跳びの動作が似ていた。だから『アイドルのダンスと一緒だよ、あれを空中でやりなさい』と教えたら、できたんです」。1人ひとりの障がいの特性にあわせて、『わかる』に繋がるポイントを見つけるのが、指導者の一番大事なところだと下稲葉はいう。

指導時の言葉遣いも独特だ。例えば競技力を伸ばすための「動きの原理原則」を刷り込むための工夫。「走るときに重要なのは股関節の屈曲と伸展だ」と説明しても、健常者が考えるようには伝わらない。
「なので、太ももの付け根に手を置いて、膝を上げたらグー、下ろしたらパー、という動きと言葉を繰り返し教えるんです。これなら、足が上がっていないときは『さっきはグーが小さかったね』といった言葉でフィードバックができますし、本人も理解できます」

「わかる」から「できる」へ。その点は、障がい者も健常者も変わらない。実は、こうして「わかる」を丁寧に積み上げていく指導ノウハウは、健常者のトレーニングにも応用が効くという。「日本ではまだ例がありませんが、世界では障がい者スポーツのコーチがオリンピックのコーチに転身することがあるんですよ」

東京2020はもうすぐ。日本代表の強化責任者として、日々が飛ぶように過ぎていく。だが一方で、こんなことも考える。高みを目指すばかりが障がい者スポーツの価値ではない、と。「例えば、健常者が週末にフットサルをやる。仲間で集まってプレーするとスカッとする。スポーツはそれだけで価値があると思っています。健常者がスポーツをやるのに、大した理由はいらないんです。暇だから、でもいい」。だが、障がい者はそうなっていない。注目されるのはトップアスリートばかり。
「でも障がい者だって『なんとなく』でスポーツをやっていいじゃん、て思うんです」

自身が主宰する障がい者陸上チームは国際大会のメダリストを輩出し、東京2020出場を目指す選手も複数所属している。しかし約30人いるメンバーは、それぞれスポーツへの関わり方が異なる。学生から社会人になっても競技を続けたいという人もいれば、純粋にスポーツを楽しみたい人もいる。きっと「なんとなく」の人もいるのだろう。そこには、健常者と同じだけのスポーツの親しみ方がある。そして、どんな小さなことでも、できなかったことができるようになっていく選手を見るのは、指導者にとって大きな喜びだ。

「高みを目指してスポーツをするのは、もちろん素晴らしいことです。でも、そうじゃない人たちにとっての受け皿でもありたいと思っているんです。練習が終われば、みんなでふざけたことばっかりしていますしね(笑)」

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