TOKYO2020

支える2020の仕事

サポートされる
側からする側へ。
障がい者も
ボランティアとして
人を支えることができると
証明したい。

スポーツボランティア

小林 俊介

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報道によると2018年に実施された東京2020オリンピック・パラリンピックのボランティア募集で、約8万人の応募が集まったという。電動車いすで生活する山梨在住の小林俊介も応募した一人だ。
小さいころからスポーツが大好きで、障がい者でもボランティアでスポーツを支えられることを証明したい、との思いをもって応募した。また、自らボッチャの選手としても活動中。その他、福祉講話活動、ユーチューバーなど、持ち前の行動力で障がい者の可能性を広げるための挑戦を続けている。

「リオ2016パラリンピックでボッチャの試合を見て驚きました。僕にもできる、と」
脊髄性筋萎縮症を持って生まれ、病気の進行が進み、高校生から自力での歩行が困難になった小林俊介にとって、スポーツは「見て楽しむもの」だった。
だが、リオ2016は、自分もプレイヤーになれるということを教えてくれた。
「ボッチャは腕を使って投げるもの、と思っていたので自分にはできないと思っていました。でもパラリンピックで見たボッチャは腕が使えない人でも介助者の助けを借り、スロープを使ってボールを投げていたんです。今まで知っていたボッチャとは違うものでした。これなら自分も、選手側に立つことができる。今まで見ていただけのあちら側に行ける。そして障がい者でも国を代表して戦えるんだということに興奮しました」

ボッチャはカーリングに似ていると言われるスポーツ。すぐに父にスロープを作ってもらい、ボッチャを始め、各地の大会に積極的に参加していった。
「大会に参加したとき、はじめて“選手側”になれたことがすごくうれしかったです」
行動はそれだけにとどまらない。
2017年に自ら山梨県ボッチャ協会を設立。活動を広げることで新しい仲間が増え、そしてスポーツ関係の知り合いも増えていく。
その中の一人、山梨学院大学のスポーツマネジメントを行っている経営学部の教授との出会いが、ボランティアに興味を持つきっかけとなった。

「教授は、過去に行った北京2008やロンドン2012では、障がい者が会場でボランティアとして活動するのは当たり前の光景だったと教えてくれました。
日本では、障がい者はボランティアの助けを『受ける側』というイメージです。しかし、世界では障がい者がスポーツを支えるスタッフの一人となっている。教授に、興味があるなら勉強してみたら、と進められて、すぐにスポーツボランティア関連の講習会に参加し、ボランティア活動を始めました」

小林は話すことが得意だ。ユーチューバーとして、自身のチャンネルでサッカーの試合分析の動画も数多く発信している。
その“しゃべり”を武器に、地元山梨の女子バスケットボールチームの試合の館内アナウンスのボランティアに挑戦した。これが評判になり、次のシーズンにはメインMCである「スタジアムDJ」に抜擢。ボランティアが仕事になったのだ。昨シーズンは8回の試合を話術で見事に盛り上げた。

「スポーツボランティアの勉強会で、スポーツの関わり方には『する』『見る』『支える』の3つがあると知りました。リオ2016のボッチャを見るまで、僕にとってスポーツは『見る』だけのものだった。でも今は『する』『支える』もできるようになった」

小林の今の夢は、ボッチャで東京2020パラリンピックに出場し、ボランティアとして東京2020オリンピックに参加することだ。

「健常者でも東京2020で『する』『見る』『支える』の3つをやる人はいないんじゃないかな(笑)。ボッチャで出場するのは今年の試合で奇跡でもおきないと無理なんですが、まだ可能性はあるのでがんばろうと思っています」

そしてボランティアとして東京2020のアスリートたちを支え、障がい者でも人を支えることができることを証明したい、と語る。
「東京2020が終わったあと、障がい者のボランティアが増えていくといいなと思っています。目標はいつか教科書に載ること(笑)。『障がい者のボランティアの道をつくった人』として」

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