TOKYO2020

支える2020の仕事

「フェンシングで人生が
変わった」
手袋の町の職人がつくる
選手の手と一つになる
グローブ

フェンシング用グローブ製作職人
細川勝弘・かずゑ 夫妻

up

香川県東かがわ市は手袋生産のシェア日本一を誇る、手袋のまちだ。そこではあらゆるジャンルの手袋が日々生産されているが、フェンシング用グローブを手掛けるのは細川夫妻だけ。そのグローブを求めて国内外のメダリストから声がかかる。

香川県東かがわ市の細川勝弘さん、かずゑさん夫妻は、きょうも朝から手袋を作り続けている。夫は裁断、妻はミシンで縫製を。いまは札幌で暮らす次女が縫製を手伝ってくれているが、頑張って日に6枚、月に100枚作るのが精一杯の、小さな工場だ。「商売を考えれば、なんとか作る枚数を増やすのがいいんですが、量を増やしたら絶対に質が落ちるんです。私は商売人とは言えません。アホなんです(笑)」と勝弘さんは関西弁で笑う。

だが細川さんのグローブはフェンシング界で知らない者はいない。メダリスト候補から小中学生までが愛用するのが、細川さんのグローブなのだ。

かつて主流だった海外製品との違いはフィット感にある。30にもおよぶ大小のパ―ツ生地を縫い合わせることで立体感を生み出す。複雑に縫い合わされた手袋は一つ一つ手作業で裏返し、手の形をしたアイロンにはめて丁寧に形をととのえる。二人がかりで1日に6枚つくるのがやっとだ。選手用のオーダーメイド品となればミリ単位の微調整も施される。完成した手袋は「まるで素手」、すぐに馴染んで、一流アスリートの手とひとつになる。初めて着けた人は決まって「うわ」「すごい」と二言だけを口にするそうだ。

試合会場に足を運べば、自分が作り上げたグローブを着けた選手が至るところで活躍している。「おっちゃんのグローブのおかげで優勝できた」と電話や手紙をくれる子どもがいる。「それが一番、幸せですね」だから今日も工場にはミシンの音が響く。

中学を卒業してすぐ手袋職人の道に入り60年近くが過ぎた。ファッション用、防寒用、バイク用、スポーツ用と一通り手袋づくりを覚えたのちに、41歳で独立。長らく経営は苦しかった。「手袋は冬のものでしょう。だから年の半分は仕事がない」金融機関から融資を受けながらの自転車操業が続いた。

ところが、フェンシングをきっかけに、何もかもが変わった。「まさかこうなるなんて、思ってなかったもんね」と本人が一番驚いている。

きっかけは、次女からの電話だった。フェンシングの試合に出場する夫のためにグローブを作ってほしいという。「海外製は高いから、と頼まれましてね」それまでフェンシングとは縁のなかった細川さんだが、手袋職人としてのキャリアは十分過ぎるほど。見様見真似でグローブを作ってみせた。使った生地は黒い合成皮革。実はフェンシング界では、選手は白いグローブを使い、コーチが黒いグローブを使うという慣習があった。それを知らずに黒いグローブを作ってしまったのだが、かえってそれが観客の目を引いた。さらに着け心地のよさが評判となり、「すごかったですわ、反響が」地元の高校などから注文の電話が相次いだ。

「でもそのあとは作る気がなかったんですわ」フェンシングのグローブが商売になるかどうか、まだ疑わしかったからだ。なによりも従来からの手袋づくりをやめるわけにはいかない。それでも4校分だけ用意した。今度は、選手や指導者たちの意見を聞き、20回以上の試作を重ねて完成した本格的なグローブである。

その翌年のこと。選手たちが出場する試合を観戦するために香川から京都まで足を運んだ。「あの頃、銭なんてありませんから、バス賃だけ持っていってね」その細川さんが乗るバスが現地に到着すると、会場内が沸いている。慌てて会場に駆け込んだ。そこで細川さんが目にしたものは、自分が作り上げた手袋を手に、優勝台でガッツポーズを決める選手たちの姿だった。細川さんは、その瞬間を忘れることができない。「この話したら、もうあかん。涙が出ます。会場でも泣きましたもんね」

細川さんのつくるグローブには営業マンがいない。いい物を作れば必ず評判になり、客を呼ぶ。当時からそうだったのだ。試合が終わると、いよいよ全国からオーダーが殺到し、昼も夜もなくなった。以来、細川さんは、フェンシングと共に生きている。

かつてはフェンシングの門外漢。しかし「生半可にかじっとったら、ここまでの手袋はできてないと思いますわ」知らないからこそ、選手たちの意見を素直に聞き入れられる。特に、子どもたちの声は参考になった。「子どもたちは、言葉に色をつけない。単刀直入にパッというてくれるんです。その言葉をすぐに持ち帰って、その子の顔を思い浮かべながら、グローブをこしらえる。その繰り返しです」

フェンシング日本代表のチームとは、08年からの付き合いだ。選手1人ひとり、手のサイズを測り、オーダーメイド品を作り込む。さらに細かい注文が重なる。ある選手は「剣を操作するのは人差し指と親指だ」またある選手は「剣を振り込んだときに、少し”遊び”があるほうがいい」全ての注文をグローブに落とし込む。

またフェンシングの3種目「フルーレ」「エペ」「サーブル」の種目ごとに、求められる品質も異なる。指先の柔らかいもの、表面が滑るもの、手の甲にクッション性のあるもの。細川さんはそれぞれに合った素材を、日本中の素材メーカーから探し出し、取り入れながらつくる。できあがったグローブは、まさに細川さんの知識、経験、技術のすべてが盛り込まれた「作品」だ。

「私の目標は、すべてのアスリートに気持ちよう使うてもらえる手袋づくり。これは不可能なことです。でもそれに、一歩でも近づきたい」

細川さんは手袋を作りながら、まるで我が子のように選手たちの顔を思い浮かべている。だから選手たちも細川さんを慕うのだ。以前、こんなことがあった。長らく細川さんのグローブを愛用していたとある選手が、諸事情から、オリンピックには海外製品での出場を余儀なくされた。しかし大会後、テレビ出演の際、彼がカメラの前に置いたのは細川さんのグローブだった。「使こてもいない私のグローブを、ドーンとね。そういう子たちなんですわ」

我が子同然の選手たちが出場する東京2020が、今は楽しみでならない。かつて世界大会の準決勝で、4選手全員が細川さんのグローブを着けていたこともある。同じことが東京2020で起こらないとも限らないのだ。「もっとフェンシングをメジャーなものにするために、どの種目でも、どんな色でもいい、メダルがほしいですね。その選手が自分のグローブを着けていたら……それは最高でしょう」

SHARE

  • Twitter
  • facebook
  • LINE